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「西東京市平和の日」のイベントを行いました

ページ番号 683-755-464

最終更新日 2017年5月10日

 4月12日(水曜日)から4月16日(日曜日)までの5日間、田無駅北口アスタセンターコートにて、「西東京市平和の日」のイベントを行いました。

平和のリング

「西東京市平和の日」をご存知ですか?

 1945年4月12日、アメリカ軍爆撃機B29の空襲によって、市内とその周辺地域で多くの被害を受けました。田無駅周辺だけでも、50人以上の方々が犠牲となったとされています。現在、田無駅前の「平和のリング」が建てられている場所の近くにあった防空壕では、多くの方が亡くなられました。

 市は「西東京市平和推進に関する条例」により、4月12日を「西東京市平和の日」と定め、長い年月を経ても戦争の体験を風化させることなく、平和の意義を語り継ぐために、毎年様々なイベントを行っています。
 

4月12日(水曜日)

記念式典

 午後1時に空襲で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに世界の恒久平和を願い、1分間の黙とうを行い、「西東京市平和の日」の開催にあたり西東京市長と非核・平和をすすめる西東京市民の会の会長より、挨拶を行いました。


【写真:黙とうの様子】

紙芝居「タイムスリップ」 黒木修さん

 絵本作家高橋宏幸氏(故人)により発刊された市内の戦災を題材とした絵本「タイムスリップ」を高橋氏より学んだ絵本作家クラブの黒木修さんが披露してくださいました。
 「タイムスリップ」は72年前の空襲で母親を失った子どもが、平和観音に育てられるというお話です。平和観音像は以前、田無駅前に建てられていましたが、今は田無町の総持寺に移設されています。


【写真:紙芝居 黒木修さんによる「タイムスリップ」】

4月15日(土曜日)のイベント

ギター弾き語り  和/NAGOMI

西東京市生まれのシンガーソングライター
 平成15年には「広島平和の旅」に参加されました。その時の参加者で作った「未来の空へ」をはじめ、大好きなフォークソングを平和への思いを込めて来場者の方々に伝えてくださいました。


【写真:和/NAGOMIさん】

手話歌、手話ミュージカル劇  しゅわクラブ しゅわにゃん

 西東京市を拠点とし、子どもと保護者が共に手話や福祉を学び、あらゆる人と積極的に関わり、子どもにもできる社会貢献を考え、様々な取り組みをしているグループで、手話ミュージカル劇「アニー」、手話歌、手話による「西東京市非核・平和都市宣言」を披露してくださいました。平和を願う子どもたちのパフォーマンスで会場が一体となりました。


【写真:しゅわクラブ しゅわにゃん】

戦争体験者による講話  西崎信夫さん

昭和2年1月、三重県生まれ
 昭和17年9月海軍特別年少兵の第1期生として広島県の大竹海兵団に入団し、駆逐艦雪風の魚雷発射管射手に配属され、様々な海戦に参加し、昭和20年、沖縄水上特攻では戦艦大和の護衛として従い、大和が沈没する中、生存者の救助にあたられました。
 実際に見た方にしか感じられない事、知ることができない事、戦艦大和の最期をお話いただきました。
 自分のように志願して兵士になるような戦争を起こしてはいけないとお話されていたことが印象的でした。


【写真:西崎信夫さん】

4月16日(日曜日)

語り 西東京市平和の日朗読・語りの会

 西東京市平和の日に語りを行うための団体で、これまで昭和20年4月12日の田無の戦災の朗読劇、体験者の語り継ぎを行ってきました。
 今回は、「おかあさんのうた」「私が一番きれいだったとき」など本を持たない語りや紙芝居を披露してくださいました。毎年、工夫を凝らしての語りは、戦争の悲惨さ平和の大切さを来場者の方に届けてくださいました。


【写真:西東京市平和の日朗読・語りの会】

歌とギター 芝久保ギタークラブ

 市内の福祉施設で音楽活動をされている団体です。
 様々なジャンルの音楽を歌とギター、ボンゴとマラカスを交えて披露してくださいました。時には来場者の方と一緒に歌い、ご自身の戦争の体験やその時の気持ちなどをお話しいただき、平和の大切さ戦争の悲惨さを伝える演奏をしてくださいました。


【写真:芝久保ギタークラブ】

キッズダンス SUPER☆トゥインクル

 小学校低学年から中学生までのメンバーで西東京市を中心に活動している17年目のHIPHOPサークルです。
 子どもたちの迫力のあるダンスパフォーマンスが平和への思いや大切さを伝え、元気なパワーで会場を盛り上げてくださいました。


【写真:SUPER☆トゥインクル】

「忘れてはいけない記憶 西東京市にもあった戦争」の上映

 戦後70年の節目に、戦争を風化させることなく次世代に伝えていく取り組みとして、市内の戦争に関する遺跡や戦争の体験談、西東京市の平和事業の取り組みなどを映像に収めた「忘れてはいけない記憶 西東京市にもあった戦争」の上映を行い、たくさんの方にご覧いただきました。


【写真:「忘れてはいけない記憶 西東京市にもあった戦争」の上映】

「西東京市戦災パネル」の展示

 空襲による被害や戦時下の暮らし、市内の戦争遺跡マップなどを写真や絵で分かりやすく説明したパネルの展示を行いました。

【写真:「西東京市戦災パネル」の展示の様子】

1トン爆弾模型

 アジア太平洋戦争末期にアメリカ軍が日本に落とした1トン爆弾の実物大模型の展示を行いました。爆弾本体の円筒の直径は約60センチメートル、長さ約180センチメートル。尾翼の部分も入れると最大幅が約80センチメートル、全長は約235センチメートルあります。
 
 1トン爆弾がはじめて使用されたのは、1945年4月7日です。4月12日も1トン爆弾による空襲でした。この日は、田無駅前、北原町、保谷町などに落下し、大きな被害が出ました。1トン爆弾が破裂すると、1発で直径30メートルから40メートルのすり鉢状の穴ができ、爆風で人も家屋も吹き飛ばされました。


【写真:「1トン爆弾模型」の展示の様子】

 「西東京市平和の日」のイベントにはたくさんの方々にご来場いただきました。空襲から72年を迎えた今年のイベントでは、より平和の尊さを感じていただけました。

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