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映像作品『忘れてはいけない記憶~西東京市にもあった戦争・アニメ原爆の記~』

ページ番号 713-510-205

最終更新日 2023年5月26日

『忘れてはいけない記憶~西東京市にもあった戦争・アニメ原爆の記~』

市は、戦後70年を迎えた平成27年度、戦争体験を風化させないために、戦時中にあった市内の出来事や今も残る市内の戦跡、体験談などをまとめた映像作品『忘れてはいけない記憶~西東京市にもあった戦争~』を市民の方々との協働で制作しました。
この度、この映像作品に、合併前の初代田無市長である指田吾一が自身の被爆体験を綴った書籍『原爆の記』の一部をアニメーション化して加えたほか、新たな戦争遺跡を収録するなどのリニューアルを行いました。
ぜひご覧ください。

映像作品ジャケット

動画

『アニメ原爆の記』について

外村 史郎とむら しろう 監督

劇団 文学座を退団後、絵画活動を行い、いくつかの個展・グループ展を経てアニメーション制作に活動を移行。通常のスタジオアニメーションではなく、パーソナルアニメーションを主な活動舞台としてきた。
現・新規ウインドウで開きます。株式会社NEXTEP(外部リンク)社員。宮崎県都城市出身。
【受賞】
 平成20年 TSSショートムービーフェスティバルV CM部門 グランプリ受賞。作品『君は僕の小さな勇気』
 平成24年 西東京市民映画祭 優秀作品賞受賞。作品『SUSANOO -スサノオ-』
 同年 アニメーション神戸デジタルクリエイターズアワード大地丙太郎賞受賞。作品『シャーロックホームズ&ジョン・H・ワトソン』 など
【映画】
 アニメーション映画「算法少女(ちくま学芸文庫)」監督(平成29年)
 アニメーションドラマ「ザ・ゴール(エリヤフ・ゴールドラット原作)」監督(令和3年)
 アニメーションドラマ「ザ・ゴール2(エリヤフ・ゴールドラット原作)」監督(令和5年秋予定) など

外村史郎監督写真

『原爆の記』

初代田無市長の指田吾一は、市長としての多忙な公務の傍ら、自らの原爆被災の体験を記した『原爆の記』を亡くなる直前まで執筆していました。
家族には「原爆の被災者の一人であるワシは、生きているうちにどうしても、書き残しておかなければならぬ、生き残ったものの責任があるのだ」と語り、わずかな時間でも原稿執筆に取り組み、鞄の中にはいつも書きかけの原稿が入れてあったといいます。
※『原爆の記』は、市役所田無庁舎の売店で購入できるほか、市内図書館で貸出・閲覧ができます。

原爆の記表紙

初代田無市長 指田 吾一さしだ ごいち

指田吾一初代田無市長は、明治42年10月19日、熊本県宇土市に生まれました。
東京医大を卒業後、沼津市沢病院で研修を受け、土肥町に診療所を開設しました。
昭和20年には軍医として応召中、広島で原爆の投下に遭いました。自ら被爆しながらも、原爆投下直後の凄惨な状況だった広島で、被爆者の治療に当たりました。
戦後は、昭和29年に当時の田無町に指田病院を開設。同37年に田無町長に当選し、その後は市制施行とともに、田無市の初代市長になりました。
市長在任中には、市営水道事業や保育園建設、高齢者対策などの事業に着手し、戦後の田無市のまちづくりに尽力しました。

初代田無市長 指田吾一

企画・制作

非核・平和をすすめる西東京市民の会
西東京シネマ倶楽部
西東京市

お問い合わせ

このページは、協働コミュニティ課が担当しています。

市役所田無第二庁舎 〒188-8666 西東京市南町五丁目6番13号

電話:042-420-2821

ファクス:042-420-2893

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