北杜市 ほくと歴史めぐり
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最終更新日 2025年1月24日
市指定有形文化財「義光山 矢の堂」天井絵の修復
修復完了した矢の堂の花天井
小淵沢町(現在の北杜市)にある矢の堂の歴史は、平安時代末、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光が八ヶ岳南麓の篠竹を用いて作った矢を諏訪明神に奉じ、社領を寄進して堂宇を建立したことに始まるとされます。かの武田信玄も源氏にゆかりのある矢の堂観音を崇敬しており、その加護によって大門峠の合戦に勝利したとして、矢の堂観音を八ヶ岳中腹に移し祀った、と伝わっています。現在の本堂と経蔵は安永9年(1780年)に再建したもので、本堂は四間四方、向拝一間、茅葺入母屋造で、花天井(井桁状に組んだ格天井に天井板を嵌め込み、マス目ごとに絵を描いた天井)が特徴です。花天井の絵は、江戸時代から明治時代にかけて活躍した明野出身の絵師・三枝雲岱をはじめ、桃光、雲渓が手掛け、花鳥や神獣を色彩豊かに描いています。
膠液で絵具を定着させる作業
令和5年、矢の堂奉賛会が中心となり、天井の木工事と、漏水や砂塵で汚損した天井絵の修復を行いました。日本画は、鉱物を原料とする岩絵具、貝殻を砕いて作る胡粉などの材料に、膠(動物の骨や皮から煮だしたゼラチン)を水で溶いた膠液をあわせて絵具にします。日本画は経年劣化により絵具の剥離やひび割れが生じるため、精製水や膠液を用いて修復をします。文化財の修復では絵具を塗り直すこともありますが、今回は既存の絵具を残すため、天井絵38枚と中心にある龍の絵1枚、計39枚の絵の汚損部分をクリーニングし、剥離した絵具を定着させる修復方法を採用しました。
まず、砂塵や虫糞などで汚れた箇所を乾いた筆で払うドライクリーニングをし、おおまかに表面を綺麗にします。汚れやシミが深刻な部分は、精製水を浸した脱脂綿や綿棒を使用し、汚れを浮かせて除去します。絵具の上に汚れが付着している場合は、絵具の上に養生紙を置き、精製水を浸して汚れを浮かせ、上から吸い取り紙を重ねて慎重に汚れだけを取り除きます。絵具が割れたり浮いたりしている部分は、膠液を塗布して乾燥させ、絵具を再定着させます。
上から優しく押さえ絵具を定着させる
これらの繊細な工程を1枚1枚繰り返すことで、花天井の絵はくすみが軽減し、生き生きとした花や動物の絵がよりはっきり見えるようになりました。
今回は、矢の堂の修復工事をご紹介しました。この他、地域の宝である文化財を後世に残すべく、文化財所有者や地域の方々、専門家など、多くの人が携わって文化財の保護に取り組んでいます。
※北杜市広報紙「広報ほくと」から抜粋
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