合併する前の市にはどんな歴史があったの?
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最終更新日 2025年7月8日
田無市の歴史
田無市は江戸時代、青梅街道の宿場町、そして北多摩地区の人々の生活をささえる商業の町として栄えてきました。
昭和に入ってから、鉄道の開通、あいつぐ工場の進出などにより町は活気をおびました。また西武新宿線で都心へ20分と交通の便にもめぐまれ、戦後は公団住宅や都営住宅、民間住宅の建築がさかんに行われました。
都市としての条件のととのった昭和42年1月1日に市となりました。東京で16番目、全国で563番目の市です。当時の人口は52,284人でした。
保谷市の歴史
明治22年、上保谷新田、上保谷、下保谷の3か村が合併し、保谷村となりました。
昭和15年11月11日に人口15,200人で保谷町となりました。昭和20年から都営住宅の建設がはじまり、人口はじょじょに増加しました。その後、日本住宅公団(今の住宅・都市整備公団)によって昭和33年柳沢、東伏見団地、よく34年にはひばりが丘団地が建設され、人口は急激に増加しました。
昭和42年1月1日、人口77,169人で市となりました。
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