西東京市はどうやって生まれたのかな?
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最終更新日 2011年5月23日
西東京市は、となりあった田無市〔たなしし〕と保谷市〔ほうやし〕が合併〔がっぺい〕(いっしょになること)してできました。
2つの市が合併する話は、古くは明治〔めいじ〕23年ごろにありました。
昭和〔しょうわ〕29年に「町村合併促進法〔ちょうそんがっぺいそくしんほう〕」により東京都が「東京都町村合併計画」をつくるにあたり、都知事〔とちじ〕から諮問〔しもん〕(たずねられること)を受け、「1市3町合併」(武蔵野市〔むさしのし〕、保谷町、田無町、小金井町〔こがねいちょう〕)を要望〔ようぼう〕する答申〔とうしん〕(答えること)をしました。
その後、昭和38年、40年に合併の話が出ましたが、合併にはいたりませんでした。
昭和42年1月1日に田無市、保谷市それぞれ単独〔たんどく〕で市となりました。
平成〔へいせい〕10年2月、社会環境〔かんきょう〕の変化への対応から、任意〔にんい〕の合併協議会〔きょうぎかい〕の「田無市・保谷市合併推進協議会」ができました。その後、合併にかんするさまざまな協議をして、「田無市・保谷市新市将来構想〔しんししょうらいこうそう〕」を作りました。
合併推進協議会の協議をふまえ、平成11年10月11日、法定〔ほうてい〕の協議会が作られました。新市建設計画を策定〔さくてい〕合併にかんする協議をととのえ、平成12年8月合併協定書を両市で調印〔ちょういん〕しました。
平成13年1月21日、田無市と保谷市は合併し、西東京市となりました。
