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合併する前の市にはどんな歴史があったの?

ページ番号 488-420-069

最終更新日 2025年7月8日

田無市の歴史

 田無市は江戸(えど)時代、青梅街道(おうめかいどう)の宿場町(しゅくばまち)、そして北多摩(きたたま)地区の人々の生活をささえる商業(しょうぎょう)の町として栄えてきました。
 昭和(しょうわ)に入ってから、鉄道の開通、あいつぐ工場の進出などにより町は活気(かっき)をおびました。また西武新宿線(せいぶしんじゅくせん)で都心へ20分と交通の便にもめぐまれ、戦後(せんご)は公団住宅や都営住宅、民間住宅の建築がさかんに行われました。
 都市としての条件のととのった昭和42年1月1日に市となりました。東京で16番目、全国で563番目の市です。当時の人口は52,284人でした。

保谷市の歴史

 明治(めいじ)22年、上保谷新田(かみほうやしんでん)、上保谷、下保谷(しもほうや)の3か村が合併(がっぺい)し、保谷村となりました。
 昭和15年11月11日に人口15,200人で保谷町となりました。昭和20年から都営住宅の建設がはじまり、人口はじょじょに増加しました。その後、日本住宅公団(今の住宅・都市整備公団)によって昭和33年柳沢(やぎさわ)、東伏見(ひがしふしみ)団地、よく34年にはひばりが丘団地が建設され、人口は急激(きゅうげき)に増加しました。
 昭和42年1月1日、人口77,169人で市となりました。

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