江戸時代から明治時代
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最終更新日 2011年9月7日
田無市〔たなしし〕
江戸幕府〔ばくふ〕がたおれ、明治時代になると、田無村は韮山県〔にらやまけん〕に入りました。そのあと明治2年には、韮山県から品川県〔しながわけん〕に、明治5年には、品川県から神奈川県〔かながわけん〕にかわりました。
明治11年に北多摩郡〔きたたまぐん〕に入った田無村は、明治12年に田無町となりました。
明治26年には、北多摩郡は、神奈川県から東京府〔とうきょうふ〕にかわりました。
保谷市〔ほうやし〕
江戸時代、元文元年(1736)大岡越前守〔おおおかえちぜんのかみ〕が、上保谷新田、下保谷新田の検地〔けんち〕を行いました。
明治22年には、上保谷新田、上保谷、下保谷の三か村が合併〔がっぺい〕して保谷村となりました。
その後、明治40年には、東京府〔とうきょうふ〕北多摩郡〔きたたまぐん〕に入りました。
