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昭和20年代から40年代

ページ番号 294-733-878

最終更新日 2025年7月8日

田無市〔たなしし〕

 昭和30年代に高度経済成長期こうどけいざいせいちょうきになり、都市周辺とししゅうへんの町へ人口が集中してきました。田無町も昭和40年までに都営住宅が26カ所立てられ、都市部のベッドタウンとなっていきます。
 そういったなか、生活環境せいかつかんきょうをととのえるため、昭和38年に町営水道事業じぎょうが始まりました。また、昭和40年には、し尿にょう処理場しょりじょうが完成しました。

写真:昭和34年の田無駅

保谷市〔ほうやし〕

 戦後、都心に近いことから、住宅都市として発展はってんしました。都営住宅(昭和22年)、柳沢やぎさわ東伏見ひがしふしみ団地(昭和33年)、ひばりが丘団地(昭和34年)がたてられました。人口がふえ、昭和42年に保谷市となりました。

写真:昭和30年の田無駅(現在はひばりヶ丘駅)

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