昭和20年代から40年代
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最終更新日 2011年5月23日
田無市〔たなしし〕
昭和30年代に高度経済成長期〔こうどけいざいせいちょうき〕になり、都市周辺〔とししゅうへん〕の町へ人口が集中してきました。田無町も昭和40年までに都営住宅が26カ所立てられ、都市部のベッドタウンとなっていきます。
そういったなか、生活環境〔せいかつかんきょう〕をととのえるため、昭和38年に町営水道事業〔じぎょう〕が始まりました。また、昭和40年には、し尿〔にょう〕処理場〔しょりじょう〕が完成しました。
保谷市〔ほうやし〕
戦後、都心に近いことから、住宅都市として発展〔はってん〕しました。都営住宅(昭和22年)、柳沢〔やぎさわ〕、東伏見〔ひがしふしみ〕団地(昭和33年)、ひばりが丘団地(昭和34年)がたてられました。人口がふえ、昭和42年に保谷市となりました。
