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市のおいたち・地名の由来(保谷版)

ページ番号 876-969-912

最終更新日 2006年1月23日

保谷の歴史 おいたち

古く縄文式文化時代よりこの地域に人々が居住したことは、下野谷遺跡、坂下遺跡などから発見された同期の土器などによって知ることが出来ます。
 寛文3年(1663年)稲葉美濃守知行所となり、以後元文年間(1736年)には代官川崎平右衛門の支配下にあったことが記録に見えます。
 正保元年(1644年)上保谷検地300石余、貞享2年(1685年)上保谷村高1,320石余などと検地帳に記されています。
 明治元年(1868年)廃藩置県により新倉郡広沢庄野方領より品川県となりました。 明治5年(1872年)入間県、翌6年(1873年)熊谷県、明治9年(1876年)埼玉県に属しました。
 明治19年(1886年)上保谷新田、上保谷、下保谷、小榑(こぐれ)、橋戸の五ヶ村で連合村をつくりました。
 明治22年(1889年)町村制施行と共に連合村をとき、上保谷新田、上保谷、下保谷の3村を合併して保谷村となりました。
 明治40年(1907年)保谷村は埼玉県から東京府北多摩郡に編入されました。
 昭和15年町制を施行して、保谷町となりました。
 昭和42年1月1日市制を施行し、東京都で17番目の市「保谷市」が誕生しました。

保谷地名の由来

16世紀の資料には、小槫(こぐれ)保屋としての記載があります。その後江戸初期には、 穂屋、穂谷等が使われた形跡があります。
 元禄時代(17世紀終わり頃)の文章には、 幕府に提出する書類に、まちがえて保谷を使い、以後この字になったとあります。 その後正式には、この字以外は使われなかった様です。
 地名を考察すると、穂の密生した小さな谷と解釈することができます。
 また、記録的には、保谷氏が中心となって開発した村だからという説もあります。

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