2月1日号 第285号 1面増刊(僕たちの青春は公民館です)
ページ番号 829-783-893
最終更新日 2025年1月30日
1面で掲載しきれなかった、「僕たちの青春は公民館です」取材の全文版をお届けします
西東京市公民館だより第285号(2025年2月1日号)では、公民館での出会いからステキな青春の日々を過ごしてきた高校3年生の3人に取材を行い、特集記事としてまとめました。紙面では伝えきれなかったお話の一部を要約して紹介しますので、ぜひご覧ください。
取材実施日
令和6年7月31日(水曜日)午前9時30分から 谷戸公民館にて
主役のご紹介
小西 悠 太朗さん:サッカー部所属。ルービックキューブにはまっています。
安齋 佑望さん:軽音楽部でドラム担当。趣味は自然の中を1人で散歩すること。
野口 采理さん:水泳部所属。好きな芸能人は佐野勇斗。
インタビュー全文
谷戸まつりに参加したきっかけは?
聞き手:皆さんは谷戸公民館を中心に毎年4月に開催される谷戸まつりに、ボランティアとして参加されています。この谷戸まつりに参加することになったきっかけは何ですか?
小西さん:親の仕事の関係でしばらく海外で過ごしていたのですが、日本に帰ってきてから初めてボランティアに興味を持ったのが高1の冬休みでした。友人と一緒に学校近くの青少年支援コーナーへ行ったのですが、気になるボランティア情報がなく、色々と回る中で保谷駅前公民館につながり、そこから谷戸まつりにつながりました。人のつながりによって今ここにいる。とりあえず何かやってみたいなという気持ちで行ってみたことがきっかけです。
安齋さん:高1の冬、谷戸まつりの実行委員会が動き始めたくらいの時に小西くんたちから誘われたことがきっかけです。私は高1の時に海外から帰国しました。性格的に大人しいタイプではなく、周りを楽しませることが好きなので、これまでおまつりに関わったことはなかったのですが、当初は少し軽い気持ちで、楽しそうだなっていう気持ちで参加しました。後で詳しく話していきますが、たくさんのおまつりを経て、自分の中でとても大きく、大切な行事の一つとなりました。
野口さん:私のきっかけも友人から誘いを受けたことです。この2人(小西さん、安齋さん)が最初に参加した一昨年の谷戸まつりには参加していなくて、その次の「ほくっとまつり」(=北東部地域協力ネットワーク主催のイベント)から参加しました。私自身は高1からボランティア活動をやっていたこともあり、何か役に立てばいいなと思ったのと、おまつりに関わるのは初めてだったので、自分自身の成長にもつながるかなと思って参加しました。
聞き手:最初のきっかけとなった一昨年の谷戸まつりを発端に、いろんな活動をされているのですよね?
小西さん:これまでの活動を資料にまとめてみたのですが、「谷戸まつり」や「ほくっとまつり」のほか、谷戸公民館主催講座「青少年サマーウィーク」(学習室の開放イベント)、「高校生が考えた親に教えたい講座」、「みんなでつくるボッチャ大会」での企画や審判、不登校などで悩む子どもたちの居場所『ぽくるーむ』の「ウィンターフェス」などに取り組んできました。
聞き手:去年の谷戸まつりでは、焼きそばの味決めをするときに、下級生もたくさん集まっていることに驚きました。どうやって後輩を集めたのですか?
小西さん:友人たちと一緒に団体を作って、下級生がその中に入りながら活動できるようにしています。興味がありそうな子に声をかけて集まったメンバーで活動を続けており、卒業した後も下級生に引き継いでいく形を目指しています。
聞き手:谷戸まつりに10年以上関わっているので、私としては本当に嬉しいです。どんどん高齢化していて、「この先どうするの?」と悩んでいたので、強力なメンバーが入ってくれて本当に助かっています。これらの活動を通していろんな地域の大人たちと関わることになったと思いますが、どんな思いを抱きましたか?
小西さん:とにかくいろんな人がいるということを感じました。しかも、谷戸まつりが発端で谷戸公民館の職員さんから声を掛けてもらって、青少年サマーウィークの活動にもつながったし、一昨年の谷戸まつりで実施できなかった焼きそばをやるということに向けて1年間活動するということになったのは、谷戸まつりの副実行委員長でもあり、防災アドバイザーとして地域で活動している小野さんのおかげで。谷戸まつりを通して得られた「人と人との絆」というのは貴重で、いろんな活動へとつながっていったことはすごいことだなと思っています。
安齋さん:私は谷戸まつりに関わり始めたとき、コロナ明けということで不安とか緊張があったんですけど、さっき小西君が言っていたようにこの2日間で得られる「人と人とのつながり」というものがこんなにもすごいんだなということを知ることができた。特におまつりという、家族とか友達と一緒ににぎやかな中で楽しめる場なので、だからこそ「人と人とのつながり」がより鮮明に反映されているのではないかなと思って。特に様々な年代の方々と関われるということで、支えるだけでなく、私自身も逆に支えられたというのが、色んなおまつりを通じて感じたことです。
聞き手:一昨年の谷戸まつりでは、公民館から谷戸第二小学校の体育館へと続く道の草むしりをしてくださっていたのも印象的でした。年配メンバーばかりで放置せざるを得なかったことを、小野さんと高校生がやってくださって本当に助かりました。谷戸まつりで大きく関わったのが谷戸まつりの実行委員会の主要メンバーの小野さんで、小野さんとの関わりが強かったから、若い力を引き込んでくれたのだと思います。野口さんはどうですか?
野口さん:正直な感想としては、とても自由だなと思いました。団体の皆さんがこのおまつりを運営されている中、小野さんがコーディネートしてくれていたということもありますが、その中でも高校生だけでやきそばの試作会とか、高校生なりにしたいこととかやってみたいことを後押ししてくれるような形でまつりが進んでいったのが、他のボランティア活動にはなくて。大人が決めたことを子どもがするっていうものが多い中で、自分たちで考えて思考錯誤しながらやりとげていくというのは、ここでしか得られない経験だったなと思っています。人とのつながりというのは、新たな価値観や考え方に出会えることにもつながると思うので、その出会いをすごい嬉しく感じています。
聞き手:私たちも実行委員会に高校生が来ていたことは知っていましたが、何となく話しかけにくかったんだけど、こんなにもウェルカムだったならもっと話しかけておけばよかったなと思いました(笑)
小野さん:コロナ明けの谷戸まつりでは、まず飲食以外の取組を徐々に復活させました。そして、最後に飲食を復活しようということで、その目玉は焼きそばだったんです。でも、コロナ前に焼きそばを焼いていた人たちも、パック詰めをしていた人たちも、売り子をしていた人たちも少しずつ離れてしまっていて、今までのようにできないと。だけど、焼きそばが復活できないと、本来の谷戸まつりじゃないよねっていう話になって。そこで、一昨年の谷戸まつりが終わった後、小西くんたちに「来年焼きそばを復活させたいんだけど、一緒にやってみない?」と声掛けをしたところ、興味を示してくれたんです。しかし、谷戸まつりの焼きそばは、1日に600食、2日間で1,200食を販売するので、いきなり高校生中心でやるのは難しいと思ったので、ほくっとまつりにて300食の販売からチャレンジしてみようと提案し、その後ぽくるーむのウィンターフェスでは200食の販売としましたが、その過程で下の学年も巻き込んでやってみたところ、小西くんたちの学年は自分たちで企画をしたり、人集めができる子たちなんだと感じました。そこでさらに、後輩たちが参加してみて楽しいという経験をしてもらって、今度は企画する側になりたいって思ってもらうようにしたいね、という話につながっていき、その流れで谷戸まつりを迎え、見事1,200食の焼きそばを売り切ることができたのです。その合間で被災地支援に行ったり、青少年サマーウィークをやったりしながら、私も高校生みんなと信頼関係を築いて、一緒に楽しんだ2年間だったなと感じています。
昨年1月に発生した能登半島地震の被災地支援にも関わることに。現地ではどんな活動をして、どんな気付きや学びがあったのですか?
聞き手:小野さんとの関わりの中で、昨年1月に起きた能登半島地震のボランティア活動にも参加されたということですが、いつ頃参加したんでしょうか?
安齋さん:野口さんと私は、3月30日から4月5日までの7日間。小西くんは途中合流という形で4日間行きました。場所は石川県輪島市門前町(もんぜんまち)です。
聞き手:どんなことをしたんですか?
安齋さん:私たち女子は物資配給のお手伝いをしたり、避難所内での引っ越し作業をお手伝いしたり。小西くんが来てからはボランティア宿泊所の段ボールベッドの設営のお手伝いをしました。
聞き手:私は映像でしか被災地の様子を知らないのですが、実際の様子は?
小西さん:建物がぺしゃんこなのも普通にあったし、発災から3か月以上経っているにも関わらず、元日から何も変わらない状態がありました。
聞き手:小野さんは行政支援(=輪島市役所の門前総合支所への支援)をしていると聞いていますが、実際に現地の方々と直接関わることはありましたか?
安齋さん:住民さんとは物資供給の場所で関わる機会がありました。体育館にものすごい量の段ボール箱が積んであって、それを一個一個開けて、中身を配るという作業でしたが、最後はほとんどゼロという感じ。テレビでもそういう光景は見ますが、すごい勢いで物資を取っていく姿というのが、自分もその被災地の一人だったらもっと勢いがあるのではないかなと思うほど、本当に辛いんだな、本当に今大変なんだなと思いました。また、市役所(=門前総合支所)の方たちは被災しながらも、自分自身を優先しない、住民さんを第一優先にしているということが毎日感じ取れました。
小西さん:震災のすぐ後はニュースでよく報じていると思うんですが、僕が行った4月くらいは東京でのテレビではあまり報じられることがなくなっていたと感じました。なのに、実際に能登へ行ってみると、こんなにも苦労している人がいて、今辛い思いをしている人がいるっていうことを知りました。1月1日からほぼ何も変わっていないという絶望がありながらも、必死に復興に向けて頑張る市役所の職員さんの姿や住民の方々の姿を実際に自分の目で見たということは、東京にいたら絶対わからなかったことだと思うし、こんなこと言ったらおかしいんですけど、メディアの報じ方というのを少し考えさせられました。実際にはまだ復興していないというか、まだまだという状態にも関わらず、僕らが東京にいながらそれを知らないっていうのは結構大きな問題だなと。だからこそ、小野さんが中高生と一緒に谷戸公民館でやっている小学生向け防災講座とかも改めて大事な取組なのだと思いました。
聞き手:珠洲市にいる知り合いに聞いた話だと、五月の連休くらいにやっと水道が普及したと言っていました。3月の終わりから4月の頭くらいに行ったのであれば、まだ水道が止まっていた場所もあると思うので、水などのライフラインはどうだったんですか?
小西さん:電気は通っていました。ただ、まだ水が出ず、お風呂やトイレも使えないので、お風呂は自衛隊さんが用意したお風呂に、トイレは仮設トイレを使う生活でした。
小野さん:安齋さんの話にもありましたが、市の職員さんが自分も被災しながらも、住民さんのために自分のことを顧みず、全力で住民さんへの支援をやっていたという姿には、私も常に強い印象を受けています。安齋さんは今日それを一番強く伝えたい、と言っていたが、そこに感銘を受けたというのは嬉しいですね。
聞き手:ちなみに、どうして輪島市の門前町へ行くということにつながったのですか?
小野さん:実はたまたまなんです。能登へ行くことになった2か月前に行う予定であった「ぽくるーむ」のウィンターフェスの打ち合わせをオンラインでやっているとき、どうしても時間が取れず、携帯のハンズフリー通話をしながら門前町へ向かう道中で、「今新潟県に入ったところだよー」と話したら、「え?帰ってきたばかりなのに、また行くんですか?」という流れになり、そこから被災地の話を少しだけすることになったんです。その話から少しずつ興味を持ってくれて、春休みに行こうという話になりました。でも、よくライフラインが止まっているところに1週間も行ってみようと思い、親御さんも許可してくれたなぁと思いました。不安とか恐怖とかもあったと思うので。
野口さん:考えてなかったと言ったら違うんですけど、知らないから実態がわからない。その恐怖すら最初は感じられないと正直思いました。もし実情がわかっていたら、怖いなとか不安はあったと思うんだけど。全く知らない状況に対して、知ろうという努力もそこまでしていなかったですし、テレビとかでしか見ていなかったからので、初日はすごい不安でしたけど、最初は不安とかを感じていませんでした。
聞き手:たしか、小野さんは東日本大震災が起きたときに高校生で、ボランティアに行きたかったけど、行けなかったって、ずいぶん前におっしゃってましたよね。
小野さん:東日本大震災が起きたときは高校2年生。ちょうど高3になる前の春休みだったので、この子たちと同じくらいの年齢の時でした。受験もあるし、部活も引退前で忙しくて諦めざるを得なかったので、みんなすごいなあと思っています。
聞き手:自分はできなかったけれど、自分の高校生の頃に行きたかったという思いがつながり、彼らが実現してくれたのかもしれませんね。
小西さん:僕は能登に行ってから、よく「復興」って言っているけど、「復興」ってなんだろうって考えるようになりました。壊れた建物を全部解体して建て直し、また街としてやっていくっていうのが復興ではないのかなと感じています。それよりも、住民の方の心の支えというのが大事だと。大きな地震で多くのものを突然無くした方々がいる中で、いかに住民さんに寄り添って、あえて言うなら「精神的復興」というか、それも「復興」の一部なんじゃないかなって思いました。あと、小野さんが能登に行く前に話していた、「幸せとは何か」という話が響いていて、能登に行ってわかったことは「幸せ」っていうのは実は自分が気付いていないところにあって、それを失ってこそ初めて気付くということがあるのかなと。私たちは水道もガスも電気もあって普通に生活ができているけど、それを失って初めてその大切さに気付く。実は「幸せ」っていうのは日常の中にあるのではないかと感じました。
小野さん:小西くんが輪島から帰って来て、「毎朝起きてごはん食べて、弁当作ってもらって学校に行って、授業受けて部活して、という日常が本当にありがたいことなんだな」と話していたことが印象に残っています。それから、発災から3か月くらいまでの間、個人的には1対1で職員さんが泣いたりする姿を見ていたんですが、みんなの前では泣くこともできないという雰囲気があったんです。「来週また来ますね」と言ったとき、「僕(=職員さん)が生きていれば来週も会えますけどね」と返されたくらい厳しい雰囲気の中で当初3か月の支援はしていました。そんな中、このメンバーが帰るという日にみんなの前で挨拶をした時、安齋さんが感極まって涙を流したという場面があったんです。そうしたら、その様子を見た市役所の職員さんたちがもらい泣きして、大勢がうわーっと泣いて。若者たちが行くことによって、大人が行くのとはまた違った関わりができるんだなと感じる場面はたくさんあるのですが、若者たちも「何かしてあげよう」ということではなく、心から純粋な気持ちで接しているので、しっかりと現地の皆さんに寄り添えているなって毎回感心させられます。人と人との関わりって「素の状態」であることが大事だと思っていて、被災地だからということに限らず大切にしていきたいと私も学ばせてもらっています。
聞き手:小野さんのエネルギーはどこからくるんですか?
小野さん:やらないといけない状況だからこそ、やっているという感じですね。私は行政への支援をしていますが、例えばがれきの撤去とか泥かきのために集まるボランティアはたくさんいるけど、最終的にボランティアなどの支援者は抜けていきますよね。いつかは現地の方々で支え合わなきゃいけなくなるので、その中心を担っていく市役所を支えていく仕組みや体制をお手伝いしています。しかし、我が国には民間が行政を支えるという仕組みがまだまだ足りないと考えています。災害大国と言われているのにも関わらず、毎回災害が起こるたびにゼロから再スタートするという状況が繰り返されちゃうので、何とかしなきゃ!という思いで支援を続けています。
野口さん:小野さんの場合、支援活動が日常生活の中での当たり前になっているなと感じています。ご飯を食べたり、寝たりって、当たり前にしますよね。勉強もやればやるほど習慣化されますし。でも、その日常化するのが大変だから、みんな「やーめた」って三日坊主になっちゃう。小野さんの場合は、何か月もずっとやっているからそれが自分の中での当たり前になっていって、でもそれはみんなにとっての当たり前じゃないから、なぜそんなことができるのか?っていう質問につながっていくんだと思いました。
これまでの経験が自分の将来にどんな形でつながると思いますか?こんな学びや経験をしたい!という思いはありますか?
聞き手:話は変わりますが、これだけ高校時代に多くのボランティア活動をしている人はそんなにいないと思うんですが、自分の未来や将来プランにどんな形で影響すると思いますか?
小西さん:今は明確な目標とか将来何になりたいとかがあるわけではないんですが、海外に住んでいた経験といろんな人との関わりを持つ中で、将来は日本だけでなく世界の人とも関われるようなことができたらなと思います。
安齋さん:私もそれほど明確にはないんですけど、マレーシアに住んでいたことがあってマレーシアとかシンガポールとか東南アジアの国々に興味があります。高校生活でのボランティアを通して、やはり「人と人とのつながり」って本当に素晴らしいものだなと思っていて、その経験を自分からすることができたというのが一番の宝物だなと思っていますが、自分の偏見かもしれませんが、社会人になると人との関係性を狭めてしまう?若いときみたいにできなくなるみたいに感じています。なので、これからも自分のコミュニティを広げることによって、より多くの人が楽しめるような環境を自分が作りたいなって考えています。
野口さん:私は将来看護師になりたいと考えています。私は海外での生活をしておらず、二人に比べて出会いの場が少なかったと思っています。自分のコミュニティを広げるというのが制限されてしまった中で生きてきて、この二人に出会っていなかったらこういう活動をしていないと思いますし、この経験からも出会いというのはすごい自分の人生に影響を与えているなと思っています。なので、私は海外に行きたいと考えています。人の自己肯定感とか子どもの教育にすごい興味を持っていて、なぜ看護師になりたいかというと、病気の子ども達って病気のせいで自己肯定感とか、こういったボランティア活動のような出会いの場を制限されてしまうと思うんです。なので、日本だけにとどまらず、海外の価値観も学んでから日本の子どもたちに還元したいなと考えています。
聞き手:ほかの資格も取ろうとしていますか?
野口さん:養護教諭の資格も取ろうと思っています。実はもともと養護教諭を目指していて、きっかけは小学校のときの保健の先生です。女の子は特に人間関係が複雑で、私自身もいじめとかではないんですが、ちょっとしたいざこざって誰しもあって、そういう時に自信を失ってほしくないなっていうのが自分の率直な思いです。私自身は素晴らしい友達に出会えて、頑張ってやっていますけど、そういうちょっとしたことが不登校などにつながってしまうことってあると思うんです。養護教諭の先生に進路の相談をしたら、その先生が看護師出身で、「看護学を学びつつ、人と人とのつながりやコミュニケーションの力を育むことが養護教諭になったときに発揮されるからどう?」とアドバイスくれて、看護師と養護教諭の資格取得を目指そうと思いました。
改めて、あなたにとってのボランティア活動とは何ですか?その思いを身の周りに広げ、つなげるために取り組みたいことはありますか?
聞き手:改めてですが、小野さんが高校生を育て、その高校生が後輩を育てているというのがとても素敵なことだなと思ったし、そのつながりというのがポイントだと思いました。皆さんだけが素晴らしいのではなく、人と人とのつながりから後輩にもつなげていくことが良いなと。初めは単純に「おまつり面白そうだな」と軽い気持ちで関わり出した後輩たちが、だんだんと自分たちが自主的に動くことで、継続していく意識に変わっていくことはすごく素敵ですね。その中で、周りから言われた変化はありますか?
野口さん:私はコロナ禍で、学校しか居場所がなかったんです。なので、自分一人で買い物をするとか、一人で活動に参加してみるというのが全くできず、怖かったんですよね。周りからどう思われるんだろうって。母も仕事で忙しいんですけど、できるかぎり私についてきてくれて。でも、最近はこういうボランティア活動を2年間やる中で、「行ってくるね~」と一人で行けるようになりました。親も信じてくれているので、自由に自分がやりたいことをやらせてくれているなと、親にはすごく感謝しています。
聞き手:コロナ禍で、特に子どもや若者は他人との関わりもすべて切られてしまった。その影響は大きかったんですね。
野口さん:人と関わらないから、人との関わり方を忘れちゃったって感じでした。今思えば、小学校の時からおじいちゃんに育てられてきたけど、コロナの影響でそれも変化して。ネットでも簡単に関われるんですけど、直接話してこの人はこういう考え方なんだ、というのがわかるし、触れ合わないと自分という人間が何なのかわからなくなって。自分が何なのかわからないとモヤモヤして、それがすごい苦しかったですね。
聞き手:そういう辛さみたいなものを心に抱えている青少年がたくさんいるっていうことですよね。でも、その中で仲間に出会えたから、人との関わりを大切だって感じることができた。同時に、こういう気付きや体験が少ない若者も世の中にはたくさんいるんだなと気づかされました。気になったことなんですが、大学生になってからも地域に関わっていくんですか?
小西さん:もちろんです!まずは谷戸まつりに!
小野さん:こうやって戻ってこられる「ふるさと」があるって大事だと思います。私自身も高校3年間は部活で地域に一切かかわらなかったけど、それまでの関わりがあったからこそ、大学生になってからも地域に戻ってきたんです。振り返ると、地域の大人に育ててもらって、約20年。今私がやっているような人と人をつなぐという活動は、これまで地域の皆さんがやってくださってきたことをそのままやっているだけなので、それも全然特別なことではないと思っています。色々と課題はありますが、どんな世代にとってもステキだと思える街になったら良いですね。
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