「西東京市平和の日」のイベントを行いました
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最終更新日 2018年4月26日
4月12日(水曜日)から4月15日(日曜日)までの4日間、田無駅北口アスタセンターコートにて「西東京市平和の日」のイベントを実施しました。
平和のリング
「西東京市平和の日」をご存じですか?
1945年4月12日、アメリカ軍爆撃機B29の空襲によって、市内とその周辺地域で多くの被害を受けました。田無駅周辺だけでも50人以上の方々が犠牲となったとされています。現在、田無駅前の「平和のリング」が建てられている場所の近くにあった防空壕では、多くの方々が亡くなられました。
市は、「西東京市平和推進に関する条例」により、4月12日を「西東京市平和の日」と定め、長い年月を経ても戦争の体験を風化させることなく、平和の意義を語り継ぐために、毎年様々なイベントを行っています。
4月12日(木曜日)
記念式典
午後1時に、空襲で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、世界の恒久平和を願い、1分間の黙とうを行い、「西東京市平和の日」の開催にあたり西東京市長と非核・平和をすすめる西東京市民の会の会長より、挨拶を行いました。
【写真】:市長挨拶
【写真】:非核・平和をすすめる西東京市民の会 会長挨拶
紙芝居「タイムスリップ」 黒木 修さん
絵本作家である故・高橋宏幸氏により発刊された、市内の戦災を題材とした絵本「タイムスリップ」を、高橋氏より学んだ絵本作家クラブの黒木修さんが披露してくださいました。
「タイムスリップ」は、73年前の空襲で母親を失った子どもが、平和観音に育てられるというお話です。平和観音像は、以前は田無駅前に建てられていましたが、現在は田無町の総持寺に移設されています。
【写真】:紙芝居 黒木修さんによる 「タイムスリップ」
4月14日(土曜日)
紙芝居 はとぽっぽ
はとぽっぽは、西東京市内の図書館、児童館を拠点に、紙芝居を使って平和の大切さを伝え、温かい心を育てる活動をしている団体です。
この日は、自主制作の紙芝居「クロ―シベリアの抑留者とともに―」をはじめ、平和の大切さについて考えさせられる紙芝居を披露してくださいました。
写真:はとぽっぽによる紙芝居
合唱 森のくまさん合唱団
森のくまさん合唱団は、小中学校のPTA合唱団を通して出会った方々が、「もっと一緒に歌いたい!」という思いで結成された団体です。
この日は、人とのつながりの大切さなどを伝える歌を、合計8曲歌ってくださいました。
【写真】:もりのくまさん合唱団による合唱
ギター弾き語り 和/NAGOMI さん
和/NAGOMI さんは、西東京市生まれのシンガーソングライターです。
平成15年、「広島平和の旅」に参加したときに、一緒に参加した方々と作った曲である「未来の空へ」をはじめ、大好きなフォークソングを平和への思いを込めて来場者の方々に伝えてくださいました。
【写真】:和/NAGOMI さんによる演奏
4月15日(日曜日)
語り 西東京市平和の日朗読・語りの会
西東京市平和の日に語りを行うための団体で、これまでに、昭和20年4月12日の田無の戦災の朗読劇、体験者の語り継ぎを行ってきました。
毎年、工夫を凝らして戦争の悲惨さ、平和の大切さを来場者の方々に届けています。
【写真】:西東京市平和の日朗読・語りの会による実演
音の絵本コンサート 佐藤 恵美 さん
西東京市に小学校一年生の頃から住んでいる佐藤さんは、ピアノ教室で幅広い年代の方々を指導されているほか、絵本セラピストとして、大人のための絵本セラピー、音と絵本のコンサートを各地で開催されています。
この日は、ピアノ演奏と絵本を通して、平和の大切さを来場者の方々に届けてくださいました。
【写真】:佐藤 恵美さんによるコンサート
ダンス にしはらスポーツクラブ「キャンディ・パワー」
「キャンディ・パワー」は、にしはらスポーツクラブのダンス教室です。子どもたちのダンスパフォーマンスにより、平和への思いや笑顔でいることの大切さを伝え、元気なパワーで会場を盛り上げてくださいました。
【写真】:「キャンディ・パワー」によるパフォーマンス
「忘れてはいけない記憶~西東京市にもあった戦争~」の上映
戦後70年の節目に、戦争を風化させることなく次世代に伝えていく取組みとして、市内の戦争に関する遺跡や戦争の体験談、西東京市の平和事業の取組みなどを映像に収めた「忘れてはいけない記憶~西東京市にもあった戦争~」の上映を行い、多くの方々にご覧いただきました。
【写真】:「忘れてはいけない記憶~西東京市にもあった戦争~」の上映
「西東京市戦災パネル」の展示
空襲による被害や戦時下の暮らし、市内の戦争遺跡マップなどを、写真や絵で分かりやすく説明したパネルの展示を行いました。
【写真】:「西東京市戦災パネル」展示の様子
1トン爆弾模型
太平洋戦争の末期にアメリカ軍が日本に落とした、1トン爆弾の実物大模型を展示しました。爆弾本体の円筒の直径は約60センチメートル、長さは約180センチメートルです。尾翼の部分も入れると最大幅が約80センチメートル、全長は約235センチメートルもあります。
1トン爆弾が初めて使用されたのは昭和20年4月7日です。同年4月12日の空襲も1トン爆弾によるものでした。4月12日の空襲時は、田無駅前、北原町、保谷町などに爆弾が落下し、大きな被害が出ました。1トン爆弾が破裂すると、1発で直径30から40メートルのすり鉢状の穴ができ、爆風で人も家屋も吹き飛ばされました。
【写真】:1トン爆弾模型の展示の様子
「西東京市平和の日」のイベントにはたくさんの方々にご来場いただきました。空襲から73年を迎えた今年のイベントでは、小さなお子様から年配の方まで、多くの方々に平和の尊さを伝えることができました。
この内容に関するお問い合わせ
協働コミュニティ課(電話:042-438-4046)
