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「西東京市平和の日」パネル展を実施しました

ページ番号 411-740-404

最終更新日 2021年4月21日

 4月8日(木曜日)から4月12日(月曜日)までの5日間、田無駅北口アスタセンターコートにて「西東京市平和の日」パネル展を実施しました。


平和のリング

「西東京市平和の日」をご存じですか?

 1945年4月12日、アメリカ軍爆撃機B29の空襲によって、市内とその周辺地域で多くの被害を受けました。田無駅周辺だけでも50人以上の方々が犠牲となったとされています。特に、現在の田無駅前「平和のリング」が建てられている場所の近くにあった防空壕では、約30人もの方々が亡くなられました。
 市は、「西東京市平和推進に関する条例」により、4月12日を「西東京市平和の日」と定め、長い年月を経ても戦争の体験を風化させることなく、平和の意義を語り継ぐために、毎年様々なイベントを行っています。
 今年度は、新型コロナウイルス感染症対策として、ステージを使ったイベントは行わず、西東京市長、非核・平和をすすめる西東京市民の会によるメッセージをオンラインにて配信するほか、アスタセンターコートにて西東京市戦災パネルや1トン爆弾模型の展示を行いました。

「西東京市戦災パネル」の展示

 空襲による被害や戦時下の暮らし、市内の戦争遺跡マップなどを、写真や絵で分かりやすく説明したパネルの展示を行いました。

1トン爆弾模型

 太平洋戦争の末期にアメリカ軍が日本に落とした、1トン爆弾の実物大模型を展示しました。爆弾本体の円筒の直径は約60センチメートル、長さは約180センチメートルです。尾翼の部分も入れると最大幅が約80センチメートル、全長は約235センチメートルもあります。

 1トン爆弾が初めて使用されたのは昭和20年4月7日です。同年4月12日の空襲も1トン爆弾によるものでした。4月12日の空襲時は、田無駅前、北原町、保谷町などに爆弾が落下し、大きな被害が出ました。1トン爆弾が破裂すると、1発で直径30から40メートルのすり鉢状の穴ができ、爆風で人も家屋も吹き飛ばされました。

 「西東京市平和の日」パネル展にはたくさんの方々にご来場いただきました。空襲から76年を迎えた今年のパネル展は、小さなお子様から年配の方まで、多くの方々に平和の尊さを伝えることができました。

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