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【郷土資料室特別展】戦争と詩 まちの記憶

ページ番号 109-638-614

最終更新日 2026年10月30日

―戦災の記録と詩人の感受性ー を感じる秋へ


チラシ表

特別展 開催概要

81年前、西東京市(当時の田無町・保谷町)は、中島飛行機武蔵製作所を狙った激しい爆撃による周辺への被害や、田無駅前への1トン爆弾投下など、米軍の空襲により多大な被害を受けました。

本展では、西東京市の戦災記録と茨木のり子の詩と言葉という、「客観的な戦災の記録」と「人間の豊かな感受性」の2つの視点から、あの日、わたしたちのまちで何が起きたのかを見つめ直します。B-29爆撃機による西東京市爆撃被弾地図や爆弾の破片などの資料をはじめ、空襲の犠牲者を悼む市民の願いから建立された「平和観音像」の想いを引き継ぐ「平和のリング」に込められた不戦の祈り、そして戦後、東伏見の日常を愛した詩人・茨木のり子の平和を求める深い思索をたどります。

まちに残る戦争の爪痕と詩人・茨木のり子のまっすぐで力強い言葉が交差する会場で、未来へとつなぐ平和への誓いを感じてみませんか。

本特別展は【東京文化財ウイーク2026】における西東京市の企画事業の一つです。

詩人 茨木のり子とは

1926年大阪生まれ。
愛知県西尾市で育ち、医師である父のもとで、恵まれた環境で少女時代を過ごしました。


高等女学校3年生のとき、太平洋戦争が勃発。優秀だった彼女は中隊長に選ばれ、学校教練で全校生に号令をかける「軍国少女」でした。卒業後に上京、帝国女子医学薬学専門学校(現 東邦大学)に進学し、二十歳のころ終戦を迎えます。

読書好きだった彼女は、薬学よりも文学に惹かれ、在学中に読売戯曲コンクールで佳作入選となったことが契機で、文学への道を進みます。その後、戯曲から詩に転じ、1958年に詩人川崎洋と詩誌「櫂」を創設。谷川俊太郎や大岡信などを仲間に迎え、日常の言葉を使って深い内容を伝える詩を発表していきます。

茨木のり子は、戦争の経験や反省から、自らの考えや感性に正直に生きること、日々の普通の暮らしを大切にすることが平和につながると考え、自分自身と社会と〈対話〉しながら詩作を続けました。


「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」「倚りかからず」等中学高校の教科書に掲載される詩も多く、現代詩の長女とも呼ばれ、戦後を代表する女流詩人としては知名度、人気ともに最も高い詩人のひとりです。

【郷土資料室特別展】戦争と詩 まちの記憶―戦災の記録と詩人の感受性ー

日時

令和8年10月24日(土曜日)~11月29日(日曜日)
午前10時から午後5時まで(正午から午後1時までは閉室時間)

場所

西東京市郷土資料室 (西東京市西原町4-5-6)
休室日 月曜日・火曜日
※入場無料
※事前予約等なし

協力

茨木のり子の家を残したい会

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