下野谷遺跡
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最終更新日 2026年6月1日

目次
下野谷遺跡の概要
下野谷遺跡は、西東京市東伏見二丁目、三丁目、六丁目地内に所在する縄文時代中期(今から約5千年前から4千年前)の環状集落であり、南関東では傑出した規模と内容を誇っています。
集落には、土坑(お墓と考えられる穴)群のある広場を囲むように、竪穴住居跡や掘立柱建物(倉庫などと考えられる建物)群などが並ぶ形で構成されており、縄文時代中期の典型的な「環状集落」という構造をしています。さらに、こういった環状集落が谷を挟んで複数存在しており、「双環状集落」と呼ばれる拠点的な集落の特徴があります。
このような形態や、出土している土器からわかる集落の継続期間が1,000年間と非常に長く、また、住居跡や土坑が密集して見つかっていることなどから、石神井川流域の拠点となる集落だったと考えられています。
平成27(2015)年3月、下野谷遺跡は、日本の歴史を正しく理解するうえで欠かせない学術的価値をもつ重要な遺跡として、西集落の一部が国史跡に指定されました!令和7(2025)年には、下野谷遺跡国史跡指定10周年を記念して、シンポジウム「したのや縄文の里をみらいにつなぐ」を開催するなど、下野谷遺跡の魅力を伝えるさまざまな活動を行っています。下野谷遺跡史跡指定からの歩みについて知りたい方はこちら。
現在、西集落の一部を「したのや縄文の里」(西東京市東伏見六丁目4番)として整備しており、地下には遺跡が保護されています。地図は
こちら(外部リンク)。

下野谷遺跡の紹介映像
これまでの発掘調査
下野谷遺跡の周辺では、戦前から、畑の耕作などの際に縄文土器のかけらなどが多く見つかることが知られており、昭和25年に考古学者の吉田格氏により「坂上遺跡」という名称で、文献上初めて紹介されました。その後、昭和48年から本格的な発掘が実施され、昭和50年には旧字名をとり「下野谷遺跡」と名称が変更されました。
調査では、旧石器時代から縄文時代後期にかけての遺構や遺物が出土していますが、特に縄文時代中期の縄文土器や石器が多く出土しています。

調査の様子(第1次調査)

竪穴住居址(第6次調査)

出土した土器(第19次調査)
国史跡の指定
集落の様子
下野谷遺跡は、石神井川に面する日当たりの良い高台から低地にかけて広がっています。石神井川の北側は、昭和初期までは葦が茂り、ホタルが舞う湿地でした。水とみどりに恵まれた土地は、採集や狩猟により生活をしていた人々にとっては絶好の生活の場であったと考えられます。
縄文時代中期の集落は、墓域を含む広場を5軒から6軒の住居や掘立柱建物(倉庫など考えられる建物)が円形に囲む「環状集落」と呼ばれる構造をしており、下野谷遺跡の場合には、住居の数や土器の種類から1,000年以上にわたって人々の生活が営まれていたと考えられています。

下野谷遺跡の集落想像図(作画:森生文乃)

地面を掘り込んで床を作った竪穴住居の跡

掘立柱建物の跡
出土品
下野谷遺跡からは膨大な数の土器や石器などの遺物が出土しています。これらの遺物を通して、縄文人が生活していた様子や、集落が営まれた期間、人々の活動・ネットワークの範囲等を知ることができるだけでなく、縄文人の豊かな感性や優れた技に触れることができます。
土器
縄文土器は、その形や模様などから分類され、時期や地域の指標となっています。下野谷遺跡からは、縄文時代の早期から後期にかけての長い年代にわたる様々な土器が出土していますが、縄文時代中期中葉の「勝坂式土器」と「加曽利E式土器」とが最も多く出土しています。また、甲信越や南東北等の土器の影響を受けた土器も見られ、人や物の交流を垣間見ることができます。



土器3D画像
西東京市図書館Web/西東京市デジタルアーカイブ 下野谷遺跡 出土品(外部リンク)
下野谷遺跡から出土された土器を3D画像で紹介しております。
石器
石器で多く出土したものは、弓矢の先につける石鏃(せきぞく)、石を打ち欠いたり磨いたりして作る打製石斧や磨製石斧、木の実などを割り、磨り潰すための石皿や磨石などです。
石鏃に用いられている黒曜石は、伊豆の神津島、信州の和田峠などの産地のものであることがわかっており、広域なネットワークが発達していたことが伺えます。
打製石斧は、土掘り具とも考えられ、住居などの掘削のほか、食用植物の根などの堀りあげなどにも使われました。
その他、耳飾りや垂れ飾り(ペンダント)といったアクセサリー、祭祀に使われたと考えられる石棒などの特殊な遺物も出土しています。

上段:石鏃 下段:石斧

石皿とすり石

上段:土製耳飾り 下段:垂れ飾り
下野谷遺跡から出土した土器や石器の一部は、西東京市郷土資料室で展示しています。
したのや縄文の里
下野谷遺跡を未来へ保存・継承するため、西集落の一部を「したのや縄文の里」として整備しています。
都会のど真ん中に突如として現れる、竪穴住居、お墓、土器の廃棄状況などの縄文時代の風景を味わえるのは都内でココだけ!
また、竪穴住居の内部は、原則毎週日曜日に一般公開しています。直近の公開日時はこちら。
みんなで一緒にじょうもん体操!
春夏秋冬をとおして、それぞれイベントを開催しています。
特に、毎年10月に開催している「したのや縄文の里 秋まつり」は、令和8(2026)年に、記念すべき第20回目を迎えます!
【火起こし】や【勾玉づくり】、【縄文の糸づくり】、【石器でおさかな解体ショー】など縄文体験ができるほか、ここでしか手に入らない【縄文グッズ】もあります!ぜひお越しください♪
縄文服でファッションショー!

したのやグッズも盛りだくさん

したのや縄文の里へのアクセス
西武新宿線「東伏見駅」南口より徒歩約7分
詳しい地図は
こちら(外部リンク)。
所在地 西東京市東伏見六丁目4番
したのやムラの「しーた」と「のーや」

ぼくがしーた!

わたしがのーや!
下野谷遺跡公式キャラクター 『したのやムラの「しーた」と「のーや」』です。
「しーた」は狩りの練習をしている男の子、「のーや」は土器づくりの勉強を始めた女の子で、今から4,500年前のしたのやムラに、仲間と一緒に暮らしています。
下野谷遺跡を未来へ残し、次の世代へと伝えていくために、「したのやムラ」の仲間と一緒にお手伝いをしてくれています。したのや縄文の里、西武新宿線東伏見駅など色々なところにいる2人をぜひ探してみてください!
皆さん、どうぞよろしくお願いします。
したのやムラの仲間たちペーパークラフト(PDF:17,815KB)
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