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下野谷遺跡

ページ番号 495-954-466

最終更新日 2023年4月13日

下野谷遺跡の概要

 下野谷遺跡は、西東京市東伏見二丁目、三丁目、六丁目地内に所在する縄文時代中期(今から約5千年前から4千年前)の環状集落であり、南関東では傑出した規模と内容を誇っています。平成27年3月に一部が国史跡に指定されました。
 集落には、土坑(お墓と考えられる穴)群のある広場を囲むように、住居跡や掘立柱建物(倉庫などと考えられる建物)群などが並ぶ形で構成されており、縄文時代中期の典型的な「環状集落」という構造をしています。さらに、こういった環状集落が谷を挟んで複数存在しており、「双環状集落」と呼ばれる拠点的な集落の特徴があります。
 このような形態や、出土している土器からわかる集落の継続期間が1,000年間と非常に長く、また、住居跡や土坑が密集して見つかっていることなどから、石神井川流域の拠点となる集落だったと考えられています。
 現在、一部は新規ウインドウで開きます。下野谷遺跡公園(西東京市東伏見六丁目4番)として整備され、地下には遺跡が保護されています。地図は新規ウインドウで開きます。こちら(外部リンク)

下野谷遺跡全体図

下野谷遺跡の紹介映像

これまでの発掘調査

 下野谷遺跡の周辺では、戦前から、畑の耕作などの際に縄文土器のかけらなどが多く見つかることが知られており、昭和25年に考古学者の吉田格氏により「坂上遺跡」という名称で、文献上初めて紹介されました。その後、昭和48年から本格的な発掘が実施され、昭和50年には旧字名をとり「下野谷遺跡」と名称が変更されました。
 調査では、旧石器時代から縄文時代後期にかけての遺構や遺物が出土していますが、特に縄文時代中期の縄文土器や石器が多く出土しています。

国史跡の指定

 発掘調査が重ねられる中で、縄文時代の大集落の存在が徐々に明らかとなり、特に今から5,000年前から4,000年前の縄文時代中期には、南関東で有数の規模と内容を誇る大集落であることがわかりました。
 このような中、遺跡に対する市民の皆さんの関心が高まり、平成19年には下野谷遺跡保護のため一部を公有地とし、下野谷遺跡公園を開園しています。
 都市化の進んだ市街地に、縄文時代の大集落がほぼ全域残されていることは非常にまれであり、遺跡の規模も大きく内容も豊かであることから、平成27年には未来に残すべき貴重な文化遺産として、下野谷遺跡公園を中心とした西集落の一部が国の史跡に指定されました。

集落の様子

 下野谷遺跡は、石神井川に面する日当たりの良い高台から低地にかけて広がっています。石神井川の北側は、昭和初期までは葦が茂り、ホタルが舞う湿地でした。水とみどりに恵まれた土地は、採集や狩猟により生活をしていた人々にとっては絶好の生活の場であったと考えられます。
 縄文時代中期の集落は、墓域を含む広場を5軒から6軒の住居や掘立柱建物(倉庫など考えられる建物)が円形に囲む「環状集落」と呼ばれる構造をしており、下野谷遺跡の場合には、住居の数や土器の種類から1,000年以上にわたって人々の生活が営まれていたと考えられています。

出土品

 下野谷遺跡からは膨大な数の土器や石器などの遺物が出土しています。これらの遺物を通して、縄文人が生活していた様子や、集落が営まれた期間、人々の活動・ネットワークの範囲等を知ることができるだけでなく、縄文人の豊かな感性や優れた技に触れることができます。

土器

 縄文土器は、その形や模様などから分類され、時期や地域の指標となっています。下野谷遺跡からは、縄文時代の早期から後期にかけての長い年代にわたる様々な土器が出土していますが、縄文時代中期中葉の「勝坂式土器」と「加曽利E式土器」とが最も多く出土しています。また、甲信越や南東北等の土器の影響を受けた土器も見られ、人や物の交流を垣間見ることができます。

土器3D画像

下野谷遺跡から出土された土器を3D画像で紹介しております。

石器

 石器で多く出土したものは、弓矢の先につける石鏃(せきぞく)、石を打ち欠いたり磨いたりして作る打製石斧や磨製石斧、木の実などを割り、磨り潰すための石皿や磨石などです。
 石鏃に用いられている黒曜石は、伊豆の神津島、信州の和田峠などの産地のものであることがわかっており、広域なネットワークが発達していたことが伺えます。
 打製石斧は、土掘り具とも考えられ、住居などの掘削のほか、食用植物の根などの堀りあげなどにも使われました。
 その他、耳飾りや垂れ飾り(ペンダント)といったアクセサリー、祭祀に使われたと考えられる石棒などの特殊な遺物も出土しています。
 
 

下野谷遺跡から出土した土器や石器の一部は、西東京市郷土資料室で展示しています。

下野谷遺跡公園

 下野谷遺跡公園の地下には、西集落の一部が保存されています。現在整備が進んでおり、令和3年度には縄文時代の墓が復元されました。また、園内には、クリやクルミの木も植えられており、縄文人が集落として好んだ立地や自然を知ることができます。
 また、春と秋には下野谷遺跡の普及事業として、園内でイベントを開催しています。特に、秋に開催している「縄文の森の秋まつり」は、市民の皆さんとの協働により実施している縄文体験などができるイベントで、毎年多くの方にご来場いただいています。

令和2・3年度にはエントランスゾーンが整備され、遺跡の内容を知ることができる解説版や、遺跡の全体がわかる航空写真、立体模型も展示されています。

西武新宿線「東伏見駅」南口より徒歩約7分
詳しい地図は新規ウインドウで開きます。こちら(外部リンク)
所在地 西東京市東伏見六丁目4番

したのやムラの「しーた」と「のーや」

 下野谷遺跡キャラクターの「しーた」と「のーや」です。
 「しーた」は狩りの練習をしている男の子、「のーや」は土器づくりの勉強を始めた女の子で、今から4,500年前のしたのやムラに、仲間と一緒に暮らしています。
 下野谷遺跡を未来へ残し、次の世代へと伝えていくために、「したのやムラ」の仲間と一緒に普及事業のお手伝いをしてくれています。
 皆さん、どうぞよろしくお願いします。

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