ピースウォーク2017
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最終更新日 2017年11月14日
原爆の図 丸木美術館 吉見百穴
10月31日(火曜日)に毎年恒例のピースウォークを開催しました。
今年は、平和事業に参加いただいた方から行ってみたいと要望の多い「原爆の図丸木美術館」と「吉見百穴」を訪れました。
原爆の図丸木美術館
原爆の図丸木美術館は、1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されたことを知った広島出身の丸木位里と妻の俊が、数日後に駆け付けた広島で目の当たりにした惨状の記憶や多くの被爆体験者の証言のもとに、夫婦共同制作で(原爆の図)を描き、1967年に(原爆の図)を常設展示する目的で建てられた美術館です。
(原爆の図丸木美術館ホームページより抜粋)
美術館では、学芸員の方が(原爆の図)が描かれた経緯、描写されているものの意味、この場所に美術館を建てた理由などの貴重なお話をしてくださいました。
参加者の皆さんは、学芸員の方のお話を参考に、ゆっくりと(原爆の図)を鑑賞し、(原爆の図)からさまざまなものを感じているようでした。
学芸員からの説明の様子
見学の様子1
見学の様子2
見学の様子3
美術館入口で
吉見百穴
吉見百穴は古墳時代の末期(6世紀末から7世紀末)に造られた横穴墓で大正12年に国の史跡に指定されました。横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたものですが、死者が埋葬された主体部の構造は古墳時代後期の横穴式石室とほとんど同じです。
昭和19年から20年に、吉見百穴とその周辺の丘陵地帯に大規模な地下軍需工場が造られました。今でも通行可能な直径3メートル程の開口部を持つ洞窟が地下軍需工場の跡です。縦と横の洞窟がそれぞれ交差し碁盤の目のようになっているのが特徴です。
(吉見町ホームページより抜粋)
吉見百穴では、2班に別れてボランティアガイドの方が、吉見百穴の発見から国の史跡に指定されるまでの歴史、そして、軍需工場が作られることとなった理由などを見学しながらお話してくださいました。
ボランティアガイドからの説明の様子
見学の様子1
見学の様子2
見学の様子3
吉見百穴で
行き返りのバスの中では「非核・平和をすすめる西東京市民の会」の方が、西東京市に関係する軍需工場や空襲に関すること、そして模擬原爆が落とされたことなどの説明を行いました。また、参加者の皆さんからは参加した理由や感想をお話しいただき、平和への思いを共有することが出来ました。
参加者の皆さんからいただいた感想の一部をご紹介します
- これまで以上に平和の大切さを身近に感じることが出来ました。
- 美術館の学芸員の方やガイドの方々の説明もあったので理解を深められたと思います。バスの中でのお話も有意義でした。
- 原爆の図は思っていた以上に心を打ちました。戦争の罪深さをつくづく考えさせられました。
秋晴れの中で行われたピースウォーク2017では、参加したみなさんに実際に戦争に関連した施設を見学して頂き、平和の意義・大切さを考えていただくことができました。
市では、「西東京市平和推進に関する条例」と「非核・平和都市宣言」に基づき、市民参加でさまざまな平和推進事業を行っています。
市報・ホームページ等でお知らせいたしますので是非ご参加ください。
この内容についてのお問い合わせ
協働コミュニティ課(電話:042-438-4046)
