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第129回 大豆の先祖は小豆サイズ

ページ番号 342-093-028

最終更新日 2026年5月14日

煮豆(にまめ)のほかに、納豆(なっとう)やとうふ、みそ・しょうゆ、きな粉(こ)、枝豆(えだまめ)と、さまざまな姿(すがた)で私(わたし)たちの日常(にちじょう)に登場(とうじょう)する大豆(だいず)ですが、日本列島(にほんれっとう)では縄文時代(じょうもんじだい)である約(やく)1万(まん)3,500年前(ねんまえ)から食(た)べられていたことが、土器(どき)の研究(けんきゅう)から分(わ)かっています。
現代(げんだい)の乾燥大豆(かんそうだいず)は直径(ちょっけい)5~8ミリメートルぐらいありますが、縄文時代(じょうもんじだい)に食(た)べられていたのはツルマメという大豆(だいず)の野生種(やせいしゅ)で、直径(ちょっけい)は4~5ミリメートルぐらい。小豆(あずき)と同(おな)じぐらいです。小豆(あずき)サイズの豆(まめ)が、なぜ現代(げんだい)では倍(ばい)ぐらいの大(おお)きさになったのか?
ここには人(ひと)の手(て)が関(かか)わっています。実(みの)った豆(まめ)の中(なか)から大(おお)きな粒(つぶ)を選(えら)んで種(たね)にすると、次(つぎ)の世代(せだい)に大(おお)きめの豆(まめ)になる遺伝子(いでんし)が受(う)け継(つ)がれます。これを何年(なんねん)も何年(なんねん)も繰(く)り返(かえ)すと、野生種(やせいしゅ)より大(おお)きな大豆(だいず)へと育(そだ)っていくのです。
下野谷遺跡(したのやいせき)から出土(しゅつど)した土器(どき)の圧痕(あっこん)(土器(どき)に残(のこ)ったくぼみ)の調査(ちょうさ)で、現代(げんだい)の大豆(だいず)に近(ちか)いぐらい大(おお)きなツルマメの痕(あと)が見(み)つかっています。したのや村(むら)には栽培名人(さいばいめいじん)がいたのかもしれませんね。

下野谷遺跡から出土した土器から見つかった植物の痕跡とそのシリコン型の写真
下野谷遺跡から出土した土器から見つかった植物の痕跡とそのシリコン型

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